地域ねた つづき

上のはじめのリンクにあるような「ジモティ」というのは、ぼく個人的には全くあり得ない生き方だった。すでに中学くらいから生地をでて仕事をするもんだと当然のように思っていた。それは、ある程度勉強の成績がよかったので大学進学が念頭にあったことと、父親が九州から出てきた者だったので生地を出るのが当然のような気がしていたからなのか。

と言う訳で、前述の「グローバリゼーションと地域の弱者」のエントリを書いた訳だ。この年少者としての「ジモティ」もしくは体力的精神的に動く事の無い年長者/高齢者にとっては「地域という空間単位は重要」なんでしょうね。だた、僕にとってはそうでもない。
それに、このグローバリゼーションの時代にあって「地域」としてそれなりの生活レベルを維持するには、こういうジモティや高齢者を抱えてると足かせになるのではないのかな。ジモティや高齢者だけでは戦力にならないというか。で、中途半端に「地域」を出て行くとワーキングプアーになっちゃうというのじゃ無いかな(ソース無し。ジモティでかつワーキングプアーって少ない気がするのだけれど。ジモティニートはそれなりにいそう)

参考:

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)